教皇庁、司教座、河畔の記憶が重なるアヴィニョン
ローヌ川沿いのアヴィニョン歴史地区では、教会、行政、軍事の建築が一つの中世都市景観を形づくっています。14世紀、この都市は教皇庁の所在地でした。都市を見下ろす教皇宮殿、城壁、橋の遺構に加え、プティ・パレとロマネスク様式のノートル=ダム・デ・ドン大聖堂が全体を構成します。教皇庁の存在を軸に、人、芸術、建築の影響がヨーロッパ各地へ行き交ったことが、この登録の背景にあります。
巨大な教皇宮殿は、外観では厳格な要塞を思わせながら、内部には14世紀の繊細な彩色装飾を備えています。旧宮殿にはコンシストワールの間、聖ヨハネ礼拝堂、ティネルがあり、新宮殿には教皇礼拝堂があります。素朴な情景のフレスコ画を残す鹿の間、52メートルのトルイヤス塔、大謁見室または司法の間は、居住、儀礼、行政、防衛が一つの複合体に組み込まれていたことを伝えます。
周辺の建築も欠かせません。ノートル=ダム・デ・ドンは1150年にさかのぼり、プティ・パレは1317年に司教の住居として建設が始まりました。城壁には犬の塔とシャトレが含まれます。サン・ベネゼ橋は元の22アーチのうち4つだけが残り、その第2橋脚の一部には聖ニコラ礼拝堂があります。これらの断片は付け足しではなく、橋の歴史と都市が川に結びついてきた過程を示す重要な証拠です。アルビの司教都市やカルカソンヌの要塞都市とは異なる、教皇都市としての重層性を読み取れます。

